ヴァイオリニスト 久保陽子物語 #1

ヴァイオリンとの出会い

久保陽子さんは、1943年占領下の奄美大島(奄美大島は1945年から1952年までアメリカの統治下にありました)で薬局を経営する傍ら、ヴァイオリン演奏を楽しむご両親のもとに生まれました。
久保さんとヴァイオリンとの出会いは、3歳の頃。
家事の合間に練習するお母様が練習中に間違えたり詰まったりすると、それを毎日聴いていた久保さん、
「おかあさん、こうよ!」
とメロディを歌ってみせるようになりました。
驚いたお母様は「この子にはきっと才能がある!この子にもヴァイオリンを弾かせたい」とお父様に頼みました。ただ、当時の奄美大島には子供が弾けるサイズのヴァイオリンは一丁もありませんでしたし、買うこともかないませんでした。
するとお父様は、島でカンカラ三線を作っていた人に相談をして、粉ミルクの缶からヴァイオリンの胴を作ってくれました。
弦は…というと、

久保さん:「きっと、あなたはヴァイオリン弾きなさいってことだったのね。ある時、奄美の海を行ったり来たりしている船が難破して、その中に弦のような物があるというので父が呼ばれたの。それで見にいったらね、ヴァイオリンの弦があったのよ。もしかすると楽器を運ぶ途中だったのじゃないかと思うのだけど、束になって山のように弦があったの。」

当時貧しくはあったけれど、このころから久保さんは「ご両親の愛」と「ヴァイオリンとの縁」に大変恵まれていたようです。

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